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Note

  • 2017年3月20日

最近は二次創作のペースを落としつつイベントの準備をし、ふと気が向くと何がしか書き留めては投稿しています。

入用な物のデザインなども全て自分でやらなくてはいけないので、慣れない身にはなかなか大変な作業です。

デザインって大変な仕事なんだなあ、と思うことしきりです。

一つ学んだのは、ゴシック体を使いたいのであればひらがなカタカナも混じった言葉でないと見栄えが悪いのだということです。

サークル名まで漢字オンリーにするんじゃなかった。

どうも最近書いたものは以前のものに比べて真摯さが足りない気がして、色々と試行錯誤してはいるのですがどうにも……

しかしこの感覚は感冒を書いた頃から薄々あったので、何が自分の二次創作かと言われたら難しいというのも事実です。

私が想定しているのは竜胆や爛れた椅子を書いた頃の自分で、今の方が文章を書き慣れてはいても熱量で圧倒的に負けているとかそういう、……

どうしたもんかなあ、と思いつつ、机は散らかっていくばかりです。

Textを更新しました。

結局のところ審神者が長谷部君に対して求めているものは何なのか、と考えることがあります。

それは即ち、長谷部君に審神者がどういう人間に見えているかということにもなりますが。

基本的に積極的な「こうしてほしい」ということを口にはしていません。

夜、部屋へ来れば後は何もしなくて良いし、来たくなければそれで良い。

顔色を窺うのではなく自分の希望を優先しなさいとも繰り返し言い聞かせていたり。

思うに、主としての権威を-要するに主命として振りかざしてしまえば、まず断られることはないと思うのです。

​それをわざわざ自由意志に任せているというのは、表面だけの従順を得たいというよりも寧ろ、心が離れていくことを恐れている……?

ところで、刀剣男士は人間の感情を(顕現時に十分備わっているとは言えないそれを)人間である主から学ぶのではなかろうかとふと思いました。

長谷部君は自分の主である審神者から感情を学び取った訳で、言うなればそれは鏡写しにも近く。

心が欲しいなどというのは、幾分詩的に過ぎるようにも感じます。

けれどもその心が本当は誰のものなのかを考えてみると、おそらく単純な「離れないでほしい」というのとは違うような気がしています。

Textに3点更新しました。うち1点が久々に書いた中編の"雛芥子"です。

花の名を題に冠した作品は四つ目です。どれもそれなりの意味を持たせて付けたものばかりです。

作中ではひたすらに一方向性を書いていました。すれ違いと言うのとは少し違う、決定的な断絶を齎すような関係です。

終盤に長谷部君が気付いたこともその一つであり、でも実は審神者自身はそれについては悩んだことはほとんど無かった、とか色々書き表しきれていないことはあるのですが。

​同じ題材を何度も書いているような気がする件に関しては、余程それが好き(e.g. 食人や欠損や死体)だからか、もしくはそれが自分の中で消化できず扱いかねている(e.g. 前の主云々や離れていく云々)から書いてしまうというだけです。

​相手に叩きつける罵声は自分が言われたくないことだと、自己紹介なのだと言いますから。

何となく語りたくなったので此処に書きました。しんどい話でした。

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