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​腑に落ちない話

 私室でのんびりしていたところを突然平野に呼ばれて、俺は嫌々ながらに立ち上がった。
 何があったのかと尋ねると、長谷部さんと村正さんが、と言う。長谷部の名が出てきたので、俺は行かざるを得なくなった。
 着いたのは本丸にある畑の一角で、睨み合う長谷部と千子村正を何人かの男士が取り囲むようにして事態の推移を見守っていた。
――いや、あれは睨み合っているというよりも長谷部が一方的に睨み付けているだけだ。村正の方は全く意に介していない様子で、それが余計にギャラリーをはらはらさせているようだった。
「何してんだ」
 言うと皆が一斉に俺を向く。そのまま好き勝手に話し始めるので全く聞き取れず、一度黙るよう両手を挙げて制さなければならなかった。
「長谷部」
 当の本人を呼ぶと眉を思い切り顰めたままの顔を向けられた。すぐに気が付いていつもの取り繕った表情に戻したようだったが、飼い犬に手を噛まれた気分とはこのことを言うのか、俺はあまり愉快な気持ちにはなれなかった。
「何があった」
「あ、主……その、俺、奴の態度は目に余ると思い……」
「お前の意見は聞いてない。事実を言えって言ったんだよ」
 先までの威勢とは対照的に、長谷部はどんどん萎縮していく。
「……申し訳ありません」
「で?」
「村正が何度も脱ぐの脱がないのと繰り返すので、不敬だと叱りました」
「村正」
「その通りデス。ワタシはいつも通りにしていただけデスが」
 分かった、と言って俺は長谷部に付いて来いと合図をした。他の皆には騒がせたなと一言詫び、村正にはまた後で部屋へ行くと告げた。
 こういった揉め事は一つずつ順番に解決していくしかないとは言え、初っ端から一番重いのを選んでしまった。しかし後に残せばそれだけ気が重くなるのも事実で、俺は面倒事はさっさと済ませたかった。
 俺の部屋、執務室へ入り、障子戸をぴったり閉めた後で腰を下ろして文机に凭れ掛かった。長谷部にも座れと顎をしゃくると恐る恐る腰を下ろした。俺が苛々しているのが伝わっているのか、青い顔をして一言も発しない。
「長谷部」
「……はい」
「何であんなことした」
「……」
「言えよ」
 机上にあった湯呑を投げ付けると長谷部に当たった。鈍い音にも、長谷部は身動ぎ一つしない。
「……あのような言葉は、冗談であっても、主に、失礼だと思って、矯そうと思、って」
「あのな」
 辿々しい返答に腹が立つ。再度何かを投げようとしたが机上には端末以外何もなかった。端末は壊れると不味いので止めておく。
「俺は此処で平穏にやっていきたいんだよ。別に名誉も富も性愛も求めてない、ただ平穏であれば良いんだから余計なことするなよ」
 余計なこと、という言葉は長谷部の心を深く抉ったらしかった。訳の分からないままに胸の辺りを押さえ、苦しそうに顔を歪めている。此奴は純粋培養、温室育ちというやつに近い。人間の感情などほとんど理解できていないのだ。
「あ……あの……」
「話はそれだけだ。俺は村正のところに行ってくるから」
「あ、主!」
 追い縋る長谷部は無視して部屋を出た。話が単純で助かった。これが例えば痴情の縺れなんかであれば、話は相当に拗れていたことだろう。

 村正との話はすぐに済んだ。彼は彼で普段通り、元々の性格のままに振舞っているだけなのだろうが、如何せんそれが長谷部とは相性が悪い。何を言おうが俺は特に咎め立てはしないが、長谷部はあの通りの性格であるし、彼の前では極力控えてほしいと告げると快諾してくれた。
「主も大変デスね。huhuhu……」
 そう労ってくれたが、俺もいまいち村正との距離感は掴みかねている。まあ蜻蛉切が言うように、悪い奴ではないのだろう。
 やれやれと溜息を吐きながら自室に戻って来ると、部屋の前に長谷部が居た。自分の部屋に戻っているものとばかり思っていたから少々面喰らったが、面倒なので無視して部屋に入ろうとしたら案の定声を掛けられた。
「主……」
 ああもう、と俺は頭を掻き毟る。此奴は何なんだ。
「何だよ、話はもう済んだよ」
「でも、ですが……」
「何」
 部屋に入れるか入れまいか迷いながら俺は話を続けていた。入れてしまえば長話になるだろうし、このまま廊下で話をしていては誰かに聞かれる恐れがある。どっちつかずのまま、俺は長谷部を見下ろして話をする。
「もう済んだことだって言ってるだろ」
「でも……でも、まだ処分を……」
「処分?」
 また素っ頓狂なことを言い出したな、と俺は早くも後悔し始めていた。長谷部とまともに会話をすると頭がどうにかなりそうになるのだ。会話が成り立たないことなどしょっちゅうだ。
 俺の憂愁など他所に、長谷部は勝手に話し続ける。
「俺は勝手な諍いを起こして、主にご迷惑をおかけしましたから、相応の処分を下されるものだと……」
「無いよ。そういうの、面倒だって」
「ですが……」
 しつこい。こう何度も言い募られると、流石に俺も堪忍袋の緒が切れる。部屋に入れよ、と言い捨てて、俺は寝室までずかずかと歩いて行った。

「処分って言ったな」
「はい」
 長谷部は大人しく付いて来て不安そうに俺の言葉を待っている。正座した膝の上に乗せた手が、小さく小さく震えている。
「じゃあ心臓でも抉り出すか」
「……は」
「仕置きが欲しいんだろ? 此処で心臓抉ったら許してやるよ」
「あ、あの……」
 先よりも青くなって長谷部は震えている。幾ら長谷部でも、心臓を抜き取ってしまえば自分が死んでしまうことは理解しているのだろう。勿論俺も本気ではない。ただの鬱憤晴らしだ。
「無理か?」
「……し、主命、なら……」
 ああ、此奴ならやりかねない。だが俺はまだ長谷部を失いたくなかった。長谷部は、……俺が好き勝手に扱える玩具に近い。貴重だった。
「ああ心臓はやめだ、死ぬもんな。眼なら出来るだろ」
「は、はい」
「じゃあ抉れ、右な」
「はい」
 ぺたぺたと右手で右頬を触り、その手はやがて右目を覆った。指先が眼窩の形を探るようにぎこちなく動き、そのまま一点で動きを止めた。
 左手は下瞼を引っ張って目が閉じないように押さえている。……息は荒い。本当はどうしようもなく怖いくせに、どうして処分が欲しいだなどと言ったのだろう。長谷部の考えることは分からない。
「早くやれよ」
 促すとびくりと身を跳ねさせ、小さく「ごめんなさい」と呟いてから指先を沈め始めた。
「……っ……ぐぅっ、……」
 遅々として進まない。涙だけがぼたぼたと零れ落ちて、俺の寝室に長谷部の体液が染み込んでいく。溜息が漏れるのも仕方のないことだろう。
「あっ、ごめ、ごめんなさい、今、今抉りますから、っ……」
 呆れからの溜息だと勘違いしたのか、長谷部は力の入らない右手を無理矢理に動かして眼を抉り出そうとする。そんなんじゃ一生かかっても取り出せない、と俺は見物しながら胸中で独り言ちた。眼球は眼窩の中で存外強固に貼り付いている。ちょっと引っ張ったぐらいでは到底引き摺り出せるものではない。
 いつまで経っても俺の命を果たせないことに焦り始めたらしく、嗚咽の声は次第に大きくなっていた。涙で手は滑っているし、これはもう無理だろう。残念だがここらが限界だ。
「長谷部」
 呼ぶと怯えたようにまた身を竦ませた。
「お前には無理だな」
 ごめんなさい、と小さな声が聞こえた。何とも心地が良い。もっと怯えた顔が見たかった。俺に必死で謝る声が聞きたかった。
「俺が仕置きしてやるよ」
 蹲って泣いている長谷部に、俺の言葉が聞こえていたのかは分からなかった。

 蹴り飛ばすと腹に入ったらしく、長谷部は身を丸めて呻いている。「吐くなよ」と一言言うと数度頷くが、もう一度蹴ると呆気なく吐いた。
「吐くなって言っただろ」
 後ろから襟首を引っ掴んで無理矢理身体を起こさせる。嘔吐物から離れたところまで引き摺って行き、座れ、と命じた。口元を拭いながらのろのろと正座の体勢に戻ったのを見届け、俺は右手を振り被った。
 うっ、と濁った声がして長谷部はまた倒れそうになる。ただ俺の仕置きに
――実際はただのストレス解消だ――耐えなければという一心で、長谷部は何度殴られても極力姿勢を崩そうとしなかった。畳に数滴の血が飛ぶ。
「……」
 脇腹を蹴る。殴られるよりも強い衝撃に長谷部は簡単に崩折れて、色々な体液で汚れた顔でひたすらに何かを呟き続けていた。
「ごめんなさい、主、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 まだ〝処分〟だとでも思っているのだろうか、それとも〝仕置き〟か。こんなもの、折檻ですらない。長谷部を殴るのは愉しかった。蹴るのも愉しかった。固いのに柔らかい肉を好き勝手に蹴っては殴って、それを長谷部は呻き、涙を流しながらじっと耐え続けている。
 気付くと顔が腫れてしまっていたので、それから俺は蹴ってばかりいた。肋骨のない腹部には爪先が簡単にめり込んで、その度長谷部は一段高い声でごめんなさいと哭いた。
 していること自体は普段と変わりないのだが、長谷部は自分の不始末の罰を受けているのだと思い込んでいるからか言葉ですら抵抗の意思を見せなかった。多分これは虫や小動物を蹂躙するのと同じ愉しみなのだろう。何も言わない、抵抗もできない相手を一方的に嬲り続けること。
――偶にはそういう気分になることだってある。
 稀に、本当にごく稀に優しくしてやりたい気分の時があるのと同じだ。

 ふと手を止めると、長谷部はもう何も呟いていなかった。二度目の嘔吐物の中に倒れてぴくりとも動かない。
 頃合いか、と思う。俺もそろそろ疲れてきていたし、仕置きとしてはこの程度で十分だろう。箪笥からタオルを出してきて適当に床を拭いた。これと、今日長谷部が着ていた服は全部廃棄処分にするしかなさそうだ。俺は妙なところで潔癖だった。
 気を失った長谷部の身体を手入れ部屋まで引き摺って行くのは絶対に不可能だと分かっていたので(というよりしたくない)、自然に目を覚ますまで放っておいた。
 とは言えその間特にすることもないので、俺は少し離れたところに座り込んで取り留めもないことをぼんやりと考えていた。
 実際問題として、村正が脱いだら俺はどう思うんだろうか。……別に嬉しくはないな。体格とか外見とか性格とか……そもそも彼は男だし、俺にそういう趣味はない。それは他の男士についても同様だった。脱ぐのは自由だし好きにやれば良いと思うが、別に俺は嬉しくないし何とも思わない。
 だったら長谷部はどうなんだろう、と部屋に転がる紫色を見遣る。
 長谷部は
――別に脱げとは言わないし積極的に脱いできたらそれはそれで説教の一つでもしてやりたくなるが――仮に俺の命令で羞恥に耐えながらも服を脱ぎ始めるところを想像したら、その表情は、なかなかにくるものがあった。それは今日長谷部に暴力を振るっていた時に感じていたような昂揚感にも似ていた。
 ああ、これ〝可愛い〟か、という馬鹿みたいな考えが頭にふいと浮上したところで長谷部が意識を取り戻した。
「……ある、じ……」
「おはよう」
 意識と記憶には若干の混濁があるようだったが、長谷部はすぐに口を開いた。
「主、俺の、処分は……」
「まだその話してたのか」
 俺は呆れた。さっきまでの記憶が全部抜け落ちているんだろうか。
「いえ、先までのことは、覚えています。それでその、あの……近侍、は……」
「処分とやらは終わった。この話も終わりだ。今度うだうだ言ったらその分の罰を受けさせるぞ」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
 立ち上がり、首を鳴らしながら部屋を横切って俺は襖を開けた。長谷部は酷い有様だった。
「明日以降も近侍は長谷部。いいな。手入れするぞ」
「……はい!」
 廊下を歩きながら、何だって此奴は近侍に
――果ては俺に執着するんだろうと考えていた。まるで役に立たなければ自分は死ぬとでも思っているようなその行動原理が、俺にはずっと不思議だった。
 今度訊いてみよう、と頭の片隅に書き留めておく。服を脱ぐところも観察しなくてはならない。明日からも、なかなかに忙しそうだった。

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