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藁を欠いた話

 本丸には煉瓦なんてものはなかったが、煉瓦のあの燻んだ赤茶が好きだったので、どうしても他の物では代用したくなかった。それで煉瓦一個をわざわざ取り寄せて、俺はそれが届くのをまだかまだかと待っていた。
「主」、と箱を持って来たのは近侍の長谷部だった。
「お届け物だそうですが」
「来た来た」
 ぴょんと飛び上がり、俺は長谷部の手から箱を奪い取ると乱暴に開封した。緩衝材代わりのグレーの紙をかき分けると、がさがさと耳障りな音が鳴る。
「それは?」
「煉瓦」
 箱の中から取り上げてみると、俺の手にちょうど良い大きさだった。ひんやりとした岩の、何処かざらついた感触が掌に伝わってくる。
 俺は立ち上がり、煉瓦を握ったまま部屋の敷居のところまで歩いて行って外を見た。地平に近い空は焼けた橙色をしていて、天を仰ぐと藍色が静かに侵食し始めている。この時間なら、構わないだろう。
 障子戸を閉めて振り返り、一応長谷部にも確認を取った。
「長谷部」
「はい」
「今日の仕事は?」
「全て終わっています、主」
「上出来だ」
 俺の言葉を別の意味に取ったらしい長谷部は嬉しそうに目を伏せている。普通はそう取るよなあ、と俺は肩を軽く回して解しながら他人事のように思った。長谷部は全くもって正しい。何より奴が優秀で、褒賞の言葉に価する近侍であることは疑いようがない。
 だがそれもこれも、俺が俺でなければ、の話だ。
「長谷部、こっち来い」
「え、あ……、はい」
 襖を開け、続く部屋へと後ろを見ずに入って行くと、長谷部も大人しく付いて来た。俺が何か言う前に、音もなく襖を閉じる。部屋の灯りを点けた。
「もっとこっちだよ」
「はい」
 俺のパーソナルスペースに侵入した長谷部は、ほんの二、三十センチほど離れたところに立っている。試しに手を上げて翳してみると、長谷部よりも背丈の低い俺では少しばかり支障がありそうだった。
「屈んで」
「こうですか」
「ん……まあいいか」
 片膝を立てて屈み込んだ長谷部の頭には、容易に手が届きそうだった。煉瓦を握り直し、俺は振りかぶった。
「あ、」
 鈍い-頭をぶつけた時のような重い音がして、長谷部は倒れ込みそうになっていた。咄嗟に突いた右手で何とか体勢を保っている。俺は煉瓦を見た。血は付いていなかった。一回目では血は出ないんだな、という変な感心をした。てっきり一度殴っただけで派手に出血して気絶するかと思っていたし、内心でそれが起こることを期待している俺もいたからだ。
 頭を垂れて呻いている長谷部に手を貸し、身体を元の通りに起こす助けをしてやった。
「う……」
「長谷部?」
「……」
 今日はもう終わりかと思ったが、暫くしてから「はい」と返事があった。良かった良かった。
「じゃあ次行くからな」
「……い」
「え?」
「待って、くださ、い」
 言われた通り、俺は長谷部の言葉を待った。腕は一度下ろした。
「これ、は、今日、の、は、何、ですか」
「それは何を訊いてる? 手段? 目的? 理由?」
「目的、です」
 目的か。
「長谷部を煉瓦で殴ったら何回目で気絶するかなと思って、それを試す為」
「は……」
「もういいか? 続けても」
「……は、い」
 長谷部は戸惑い、また不満気だったが、俺はこれ以上会話をするつもりはなかった。そもそも結果として俺が挙げた選択肢の全てに答えたことになっていたし、これ以上俺が何か語るべき義務もない。俺は俺で、長谷部は長谷部だからだ。
 腕を振り上げると長谷部は肩を小さく跳ねさせ、きつく目を閉じた。がん、と一回目とは違う音が鳴る。煉瓦を見る。変わらぬ赤茶色だ。
「長谷部」
「…………はい」
 次だ。濁った音が鳴る。
「あ」
 煉瓦に掠れた血が付いていた。慌てて長谷部の頭に手を遣ると、触り慣れたぬるりとした感触が伝わってきた。俺は俄然嬉しくなった。血だ。それはつまり、この煉瓦で長谷部の頭を割ったのだ。何て愉しいことだろうか。三回目、と俺はその数字を頭に刻み込んだ。
 俺は形式的に長谷部の意識を確認し、まだ気を失っていないことを確かめると腕を上げた。がつん、がん、ごん、と音が響く。長谷部の身体は簡単に吹き飛んで倒れた。〝何度目〟を知ることよりも長谷部の頭を殴ることの方が愉しくなってきて、俺は危うく目的を忘れるところだった。
 十七回目が終わったところだった。
「長谷部」
 呻き声すらもしない。
「長谷部」
 身体を揺すったが、うつ伏せたままの長谷部の身体は何の反応も示さなかった。ぽたぽたと鮮血が垂れた。――つまり十七回目で長谷部は気絶したのだ。
 二つ目の数字をきちんと脳にインプットしておいて、俺は今一度煉瓦を振り下ろした。血が跳ね、俺の服も汚した。厚い骨の砕け陥ちる感触があった。笑いながらそれでも煉瓦を打ち付けていると、ふいに手が何かに呑み込まれるような心地がした。
 血で汚れた煤色の髪をそっと掻き上げると、それは脳だった。
「……ああ」
 頭蓋骨を叩き割り、いつの間にかその下、大脳にまで達していたのだ。一瞬怯んだが、良く良く考えてみれば大脳というのは根幹的な生命活動にはそれほど関与していない筈だった。であれば、幾らか損傷させたところで手入れさえきちんとしておけばすっかり治るのだろう。それだけを考えてふと思い付き、俺は煉瓦を床に置いて、ベルトに手を掛けた。

 脳は快かった。突き崩されすぎて最後は液体のようになっていたが、それはまあ俺の知るところではないし、手入れさえしたら全部元通りだった。
 余韻に浸る俺を長谷部は何か物言いたげにじっと見ている。かれこれ十分ほどはそうしている。言いたいことがあるなら言ってくれば良いのに、決して自分からは口を開こうとしない。何故かは知らない。
 そろそろ長谷部の感想も余韻に加えて後で繰り返し楽しもうと思い、俺は長谷部に声を掛けた。
「何か言いたいことがあるのか?」
「……いえ」
「嘘つけ」
 俺は笑って冗談半分に言ったが、長谷部はびくんと身を震わせた。勿論嘘なんだろう。そういう奴だ。
「怒ったか」
「……そうかもしれませんが」
「何で?」
 茶化している訳ではなく本心からの問いだった。怒っているらしいということは分かっても、俺にその理由は分からない。長谷部は一瞬だけ眉根を寄せ、渋々といった様子で口を開いた。
「せめて、説明をしてから行動に移していただけませんか」
「しただろ」
「……一度殴られてからですね。ですが、主がそう仰るのであれば、俺の答えはこれで終いです。出過ぎた真似を申し訳ありませんでした」
「うん、いや、ちょっと待て」
「はい?」
 理屈が分からない。俺は長谷部を使ってしてみたいことをただするだけで、其処に長谷部の意思は介在しないのだから許可を取ったり、いやそれ以前に説明をするなんてことは思い浮かびもしなかった。仮に説明が欲しいと言うのなら、それは何処から何処までを指すんだろうか? 例えば俺が茶を淹れてやる時には説明なんか求められない。
「……うん、説明が欲しい理屈は分からないけどまあそれは良しとしよう。それよりも説明の必要な場合の定義と……」
「主」
 長谷部は押し殺しきれない顰め面だった。俺にそんな顔をするのは珍しい。暢気な俺の考えを見透かすような苦渋の表情の長谷部は唇を湿らせ、
「もう結構ですから、気になさらないでください。俺は主を責めている訳ではなくて……ただ、戸惑っていただけです」
「ふうん」
「俺は主をお慕いしています。主から与えられるものであれば、それは貴く、間違いなどあり得ないものなのだと信じています。ただ俺が未熟で、それ故に主のやり方にまだ慣れられていないだけです」
 長谷部の理屈は酷く単純なようだった。それは良く知っている。俺が散々に利用していて、これからもそうし続けるであろう、長谷部の純真と無垢を。
 だからこそ、俺の行動原理が分からないと、そういう話なんだろう。何だか可愛い奴だなと思った。考えすぎる嫌いがあるようだ。
「俺はしたいようにしてるだけだがな」
「はい、それは……。主が俺以外に先のようなことをされないのであれば……」
「しないよ」
 頬杖を突いて言った俺の言葉一つで、長谷部は澄まし顔の裏で狂喜乱舞しているようだった。しかしそろそろこんな駆け引きのような会話にも飽きてきた。
「それで?」
「はい?」
「脳を犯された感想は?」
「……記憶に、ありません」
「やっぱりそうか」
 気を失っていたのだから仕方ない。薄々察していたことだが、やはり少なからず残念だった。長谷部の口から、最中にどんな心地でいたのかとかどういう感覚を味わっていたのかとか聞きたかったのだ。俺の行為もそれにより完結するような気がしていた。

 寝室へ引き摺って行く間、長谷部はやはり何か言いたげな様子だったが何も言わなかった。俺は部屋の隅に放ったままだった煉瓦を手に取った後、思い直してそれをまた放り投げた。ごとん、という鈍い音も既に意識の埒外にあった。
 左手に持っていたへし切を抜刀し、力加減をして長谷部の後頭部に切りつけた。重く纏わり付き、俺と刃を拒むような感触があったが、抜いてみるときちんと出血していたし切り裂かれた骨の隙間から脳が見えていた。斬れ味に息を呑んだのが分かったのか、長谷部は少しだけ口角を上げていた。口ではどう言おうと、長谷部のアイデンティティと自負心は誰かに見出されたその斬れ味にあるのだ。孔を拡げられるよう、もう二度ほど叩き切っておいた。
 俺が下を開けようとしているのを見て、何故か長谷部も自分のカマーバンドに手を掛けようとしたので無言で制止した。
 うつ伏せにさせて首の上に跨り、何度か位置を確かめてから挿入した。骨の断端が当たって痛かったが、面倒なので無視して動き続けた。一度抜いてからへし切でせっせと孔の形を整え、さて改めて挿入、なんて馬鹿馬鹿しくてやっていられない。俺はそんなことはしたくない。
「長谷部」
 長谷部は目の辺りを押さえて喚いていたが、俺が呼ぶときちんと返事をした。可愛い奴。今まさに自分の頭を叩き割って大事なその中身を犯し続けている俺を主と呼んで、何の説明もしてやらないのに文句も言わずに従って、そうして俺の為だけに存在する。
「なあ、何が見えてるんだ?」
「ひっ、ひか、光がっ、……」
「そうか、光か。眩しいか?」
 長谷部はがくがくと首を振った。その拍子にずるずると脳が俺の周りを滑る。
「じゃあ他の場所にしてやろうな」
 角度を変え、側頭部の方を抉ってやった。今度は耳を塞いで叫ぶように言う。
「な、う、うるさ、くて、きこえな、」
 俺は笑った。教科書のような綺麗な反応だ。だが俺が聞きたいのはそういうことじゃない。角度を元に戻し、ぐずぐずに崩れている脳の中を一つ掻き分けて言った。
「なあ長谷部、脳を犯されてる気分はどうだ? 俺に教えてくれよ」
 他でもない長谷部自身の言葉で。何にも穢されていない、長谷部だけの純粋な言葉で。
「あ、っ、う……」
「ん?」
「っ、きもち、わる、きもちが、わる、い、です、あるじ」
「ああ、そうだ、そうでなきゃいけない!」
 俺もほとんど叫ぶように言って、二、三度強く叩き付けるようにしてから射精した。温いものが俺を包んでいく。
 長谷部はまた気を失っていた。酷くもがいた所為で服も髪も乱れていたが、別に直しはしない。

 手入れの間、長谷部が言いたかったことは何かを考えていた。ひとまず俺がしてみたかったことは全て満たされたので、完成された余韻というものを楽しむのは後からでも構わなかったからだ。
 だが全く見当も付かなかったので結局諦めて、次は何をしようかと考えることに頭を切り替えた。
 思うに俺はあの煉瓦のようなもので、長谷部は其処に付いたばかりの血のようなものなんだろう。俺は長谷部を理解する必要を感じないし、長谷部も俺を理解しなくて良い。そういうことだ。
 俺は一人、眠っている長谷部を眺めていた。

 *

 桃色が覗く孔へと挿し入れると、長谷部の身体が跳ねた。俺は思わず行き止まったが、それきりぴくりとも動かないのを確認するとまた腰を動かした。
 温かく、やたらにぬるぬるした。多分、血だけでなく脳の脂が滲み出しているんだろう。俺は長く深い息を吐いた。
 咄嗟に思い付いたままこんなことをしているが、或いは生殖器や排泄孔へ挿入するよりもずっと気持ちが良い。言葉が勝手に口を衝いて出た。
「長谷部、なあ、長谷部」
 当然返事はなかったが、そのことは微塵も気にならなかった。
 俺は抽挿を繰り返し、その度に長谷部を呼んだ。返事はない。俺は一人だ。可笑しかった。何故かは分からないが笑えて仕方なかった。
 引き抜いて、精液に塗れた脳の成れの果てを見ながら欠片を摘んで取った。三と十七、二つの数字が頭のなかでぐるぐる回っていた。

 

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