Sausage Factory
都合の良い話
手入れ後、漸く目を覚ました長谷部に「子宮入れといたから」とだけ告げると真っ白な顔で言葉を失くしていた。まあそうだろうな、と思って黙っていると、本当ですか、と念を押してくる。そんなに信用ないかと問うと首を横に振り、頬を少しだけ朱に染めて、
「これで、俺などの身でも主の子を宿せるのですね」
などと可愛いことを言うものだから頬杖突いていた手を下ろしてへし切を手に取り、すっぱり下腹部を割いてやった。治したばかりの其処が再度ぱっくりと肉を見せ、溢れ出した血が長谷部を寝かせていた布団へだくだくと漏れる。
目を見開いて茫然と俺を見ている長谷部の腹の中に手を突っ込んで、さっき入れたばかりの子宮をぶちぶちと引き摺り出してやった。すべすべと滑らかで綺麗なピンク色をしていて、頚部から膣、果ては卵巣まできちんと付いている。金さえ積めばこんなものも手に入るのだから良い時代だった。
「ほら」
入れたばかりで取り出したばかりの新鮮な子宮を長谷部の目の前に持ち上げて見せてやると、真っ青な顔をしてそれを凝視するものだからつい虐めたくなって、
「これでもう孕めないなあ」
と言ってやるとぼろぼろと泣き出した。勝手に子宮を付けて勝手に取り出したのは俺なのに震える唇で何度もごめんなさいと呟いている。頬を一撫でした後でまた手入れをしてやった。
試してみるとどうも排卵や着床は正常に行われているらしく、受精後何か月か経つと腹が僅かに膨らんでくるのが見て取れた。ところがその中身が無事に十月十日を過ごして生まれてくることは一度もなく、人の形をしているようなしていないような、そんな肉と血と何かが混ざり合ったものを産み落とすのが常となっていた。その度長谷部は自分が産み落とした肉塊を掻き集めては抱えたまま啜り泣いて、俺に繰り返し繰り返し謝るのだった。
もういいよ、と言ってもお願いしますと言い募るばかりで、仕方なく精子を注いでやると今度こそちゃんと産めるよう頑張りますねと言って子宮のある辺りを撫でている。腫れた目をそっと撫でて軽く口付けてやると、何も知らない顔でくすぐったそうに微笑む。好きだという言葉が勝手に口を衝いて出ていた。
今日も長谷部は何も知らないまま穏やかな表情をして寝息を立てている。元より急拵えの生殖器で人と付喪神が交わったところでまともに子が成せる筈もない。それに加えて、長谷部が寝ているか気を失っている間にちょっとした細工をしていることも彼は知らなかった。
別に子供が欲しかった訳ではないし、寧ろ長谷部との二人きりの時間を邪魔されるだけなので要らないとすら思っていた。ただ俺の子を孕めると喜んで、子種を注がれては嬉しそうに微笑んで、血塗れの肉片をぼたぼたと産み落としては絶望しきった顔をして泣く長谷部が見たいがために子宮を入れたままにしているだけだ。
少し乱れた煤色をゆっくりと撫でて「愛してるよ」と言ってみたが、本心からのその言葉も何処か嘘めいて部屋に落ちるだけだった。
*
長谷部が今回産み落としたものからは出来損ないの骨片がところどころはみ出していて、これが体内を通ることを想像するとなかなかにぞっとした。実際長谷部の太腿を濡らしている血はこの肉塊が纏っているものよりも彼自身から出たものの方が多いような気がした。
引き裂かれた産道の痛みは相当なものである筈なのに、長谷部がしゃくり上げながら繰り返しているのは俺への謝罪の言葉ばかりだった。流石に気の毒になってきたので、そろそろ種明かしをしてやろうかと思って名前を呼ぶとびくりと肩を震わせる。もう一度呼ぶと漸く俯かせていた顔を上げた。
「今回も駄目だったな」と言うと心底絶望した顔で俺を見て唇を戦慄かせている。俺は捨てるだとか下げ渡すだとかそういう類の言葉は何も言わないしそもそも頭を過ることすらないのに、長谷部はすぐそのことばかり思い浮かぶようだった。そうして捨てられるのではないかと怯えているときの表情が好きだった。
「長谷部」
呼んで手招きをすると、醜悪な肉塊を抱いたままでずりずりと膝行してくる。それは置いてこいよ、と言いたかったが真っ赤な頬と其処に次々流れる涙を見ると流石に憚られた。
「謝らなきゃいけないことがあるんだよ」
長谷部は何も分からないという顔でこっちを茫然と見ている。普段は時々恐ろしくなる程に聡明だというのに、こういうときは驚くくらい鈍くなるのが長谷部だった。
「それなんだけど、生まれないようにしてるの俺なんだよ」
「……?」
「俺が、長谷部が孕む度に、正常に育たないようにしてるの」
言い聞かせるようにゆっくり言ってやると何度か瞬きをした後漸く理解できたようで、思わず力の抜けた腕から肉塊がずるりと落ちて血が跳ねた。勘弁してほしい。僅かに眉を顰めた俺のことなどお構いなしに長谷部は何やらぶつぶつ呟いている。どうフォローしたものかと悩んでいると、ふと顔を上げてこちらを見た。
「……主」
てっきり俺を責めたり詰ったりするかと思えば、痛々しい安堵の表情を浮かべて俺を見て長谷部は言った。
「では、では本当は俺でも主の子を産めるのですね、俺の畑が悪い訳ではないのですね」
長谷部には似つかわしくない、何やら詩的な言い回しをして無理矢理微笑んでいる。どうも何度試しても正常な子を成せないことを自分の不具の所為だと自責していたらしい。どうしてこんなに真面目で素直な良い奴が俺なんかのところに来てしまったんだろうなあとぼんやり思いながら、「産めるよ」と返事をした。
それなら……と長谷部は俺の服の裾を小さく引いて上目遣いをする。今すぐ次を試そうという訳だ。しかしいくら何でも、あの凶悪な肉を産み落としたばかりの傷だらけの膣に挿入することは躊躇われた。いくら俺でも、だ。
だから頭を撫でて「手入れして、明日か明後日にな」と言うと大人しく従った。
その日の晩、いつものように俺は出来損ないの肉塊を庭で焼いて捨てた。
数か月後、今度はゼリー状の半透明な物質で包まれた赤黒い肉塊を幾つか産み落とした長谷部は愕然とした表情で俺を見ていた。音もなくひたすらに何で、と俺に問うている。
「長谷部はそんなに俺との子が欲しいの」
はい、と掠れた声で返ってきたが、その理由を訊くのは怠かった。これ以上罪悪感を抱えたくないという非常に自己中心的な理由からだった。だからそれは知らない振りをして、代わりに俺の話をした。
「長谷部には悪いけど、俺は別に子供欲しくないんだよな。長谷部のことは好きなんだけど」
「え……あ、……」
「何でって、長谷部と二人きりで居たいからだよ」
長谷部は仮にも母体の役である身としてそれを素直に喜んで良いものか悩んでいるようだった。正直俺は子種を注ぐだけなので長谷部に抱かれているそれに愛情などは全くなかったが、短くない時間を共に過ごしその成長をずっと胎内に感じていた長谷部は少なからず愛情に似たものを感じているのだろうと思った。
「俺は長谷部と二人が良いんだけど」
「……はい」
蚊の鳴くような声で長谷部は答えたが、また懲りずに子を成そうとするであろうことは容易に想像が付いた。涙も涸れて虚ろな目をしている長谷部が愛しくてつい掻き抱くと、俺は耳元で低く言った。
「こんな俺の遺伝子なんか残して良い筈ないだろ」
身動ぎした長谷部の腹の辺りからぐち、と音がして、俺は長谷部があのぐちゃぐちゃな肉を抱えたままだったのを忘れていたことを少し後悔した。
*
ふと思い返してみれば、俺がほんの気まぐれで長谷部の身体に子宮を入れてから数年が経っていた。産み落とされた人間の出来損ないは十や二十に達していた筈だったが、おそらく一つ一つの仔細な形状などは長谷部しか覚えていなかった。欠片程の小さいものから両腕に余りそうな程大きいものまで様々あったが、俺は長谷部ではないそれらの物体には興味がなかった。
今日も長谷部は自分の腹から生まれた、鰭のようなものが幾つも生えた成り損ないを抱いて泣いた後で、今は布団でぐっすり眠っていた。涙の痕が残る頬をそっと撫でると小さく呻く寝顔を見て、そろそろ潮時かもしれないなと思った。
数年経ったのだから俺だってその分歳を重ねている。長谷部の表情の一つ一つを思い出し、もう良いか、と思った。
長谷部を深い眠りに就いたままにしておいて、俺は腹を開くと子宮を手早く除去して再度腹を閉じておいた。取り出したそれをしげしげと眺めてみるが、未通の少女のものだと言われても容易く信じられる程に綺麗な色と形を保っていた。思えば長谷部は何度懐胎と死産を経験しても純真無垢な瞳で俺を見ていた。
思わず溜息が漏れた。役目を終えた子宮はいつものようにこっそり庭で焼いてその灰もさっさと捨てた。
翌朝目を覚ました長谷部は早速自分の身体の違和感に気が付いたようだった。刀剣男士は身体の感覚が鋭そうだから臓器感覚も人間よりは優れているんだろうかと考えていると、長谷部はあの怯えた目で俺を見る。おはよう、と声を掛けてやると腹にぺたんと手を当てて口を開いた。
「主」
何、と短く返すと人形のようにぱくぱくと口を開いて音を出す。
「取り除きましたか」
「ああ」
「俺では駄目でしたか」
「何でだよ、これ以上は長谷部に悪いかと思ったんだよ。……今更だけど」
「……俺が女じゃないから」
唐突な言葉に、は? と素っ頓狂な声を上げてしまった。長谷部は俺を見ず、掛け布団を手繰り寄せてぎゅっと抱え込んでいる。
「俺が女だったら、主にこんなことで御手を煩わせずとも子を成せたのに、申し訳ありません」
「いや、だから子供は要らないんだって。何でそんなに欲しいんだ」
悲痛な様子を放っておけず、思わず訊いてしまった。
「……形が欲しかったんです」
「形?」
「俺と主との間に、形が」
俺は唸った。情愛の関係など不安定なものに過ぎないから子供が欲しかったし女だったら良かった、長谷部はそう考えているらしい。だからあんなに必死だったのかと多少合点も行った。不器用な奴、と思ったがそれが長谷部の可愛いところだ。俺の好きなところだ。
「長谷部」
きつく握り締められた手を握って俺は言った。
「俺は長谷部だから好きなんだよ。長谷部がどうなったってずっと愛するよ」
「でも俺は男です」
「男なのも含めて長谷部が好きなんだって」
「でも俺は男です、女じゃないです」
トートロジーか、と俺は何だか可笑しくなったが、長谷部は俯いて嗚咽を漏らしている。そんなに男だとか女だとか大事か不思議だったが、長谷部がこれだけ悩んでいるからきっと彼にとっては大事なことなんだろう。
「じゃあ俺が女だったら良かったなあ」
「……?」
「俺が女だったら長谷部は身体に変なもの入れられて気持ち悪い塊を孕まずに済んだし、俺を孕ませて長谷部が欲しかった子供を産ませることもできただろ」
「……いえ、俺は、主には、そんな」
長谷部は口籠っては視線を彷徨わせている。
「長谷部は俺が女だったら良かったと思うか? 俺が男だから好きじゃなくなるか? 別にそう思ってくれたって構わないし、長谷部の次の主が女で、長谷部の気持ちに応えられる主だったら良いなと思うよ」
最後のは本心だった。常々長谷部みたいな優秀で素直で優しくて、見目も良くて格好よくて可愛くて、すごく幸せそうに笑える奴が俺のところに居て良い訳がないと思っていたから、せめて次の主は長谷部を大事にしてくれる奴だと良いなと思っていた。ところが長谷部は首を何度も横に振ってはいいえ、いいえと呟いている。
「愛してるから、何も望まないからただ傍に居てくれよ」
そう言った後、俺は付け加えて言った。長谷部の負の表情はこの上なく好きだったが、湿っぽい雰囲気は嫌いだった。
「何なら俺が女の役でもするからさ。まずは呼び方からか、長谷部君って呼ぶか」
そして長谷部に向かって私長谷部君が好きなの、と言ってみせると変な顔をされた。変な顔としか言い様のないような、変な顔だった。
「な、変だろ。俺はそのままの長谷部が好きだよ」
長谷部は変な顔を引っ込めた後で俺の胸に寄り掛かってきて、服の胸元に顔を埋めた。シャツが少し濡れて冷たかった。だけどどうせすぐに体温で温くなるんだから、最初から俺の胸で泣けば良いのになと思った。
「……俺、主命なら何でもしますから、ずっと一緒に居てください」
「何もしなくて良いよ、居てくれるだけで」
「ずっとですか」
「うん、ずっと」
甘い言葉を吐くのはそろそろ恥ずかしいんだけど、とは思ったもののこの状況を招いたのは俺だったので長谷部が望むだけ恥ずかしい言葉を言ってやった。愛してるの言葉に次の主は俺みたいなのじゃないと良いな、なんて意味を持たせながら。
*
長谷部に一度訊いてみたいことがあった。俺の二の腕に頭を載せて面映ゆい様子で目を伏せている長谷部に声を掛けるとはい、と返ってくる。
「長谷部はさあ、俺の何処が好きなの。何で好きでいてくれるの」
小首を傾げ、長谷部は微笑んで言う。
「主と同じ理由です」
それを聞いて俺は何だそれ、と笑った。分かりにくい、だけど俺だけには容易に通じてしまう答えだ。いつの間にこんなことを言ってくれるようになったのだろう。
今夜は少し冷える。長谷部の肩に手を添えて此方に身を寄せさせて、毛布と掛け布団を直した。口ではありがとうございますと言いながら、何故そのようなことを、と長谷部の目が俺に尋ねている。
「いつか俺が審神者を辞めるか死ぬかしたら、長谷部は元のへし切のところに戻るだろ。そうなったら今の記憶とかどうなるのかなとか思って」
「へし切に、戻る」
「何か政府に渡されたマニュアルに書いてあったんだよ、審神者がいなくなったら刀剣は全部解体して、本丸も消してお終い、って。そうしたら多分、本霊?に戻るんだろ」
言いながら俺も自信がある訳ではなかった。ただ同じ刀剣が複数存在するということはおそらくそうなっているんだろう、と推測していただけだ。そして多分、顕現させた男士には分たれていなかったとき以降の記憶がないことから、本霊に戻ってしまえば記憶も全て消えてしまうんだろうなとも俺は思っていた。
「……俺は忘れたくなどないです」
「俺は長谷部が次の主のところで幸せになってくれれば、それで良いけど」
「忘れられても構わないということですか」
「いや、淋しいことは淋しいけどさ」
それは本音だった。どれだけ嫌われようが憎まれようが、記憶に残っていられるだけおそらく幸せだ。忘れられてしまう方が、俺だって怖い。でも俺は別離の後だって長谷部のことを死ぬまで忘れられないし、死んでも覚えていそうだなあと思った。
「その分も長谷部が次の主に大事にされれば、それで俺も幸せなんだよな」
そう言って長谷部をちらと見遣ると唇を噛んでいる。何かしら地雷を踏んでしまったのかもしれない。哀しいことに俺は他人の気持ちがあまり良く分からないから、長谷部が今胸中に抱えていることもなかなか察することができなかった。
「長谷部」
「主は、よく次の主と口にされますね」
「まあ、本心だしな」
そう返すと長谷部は黙り込んでしまった。やっぱり何で好きでいてくれるんだろう、という疑問がまた頭を擡げる。到底人には言えないようなことを散々し尽くした俺を好きでいるより、俺とのこともすっぱり忘れて次の主のところで大切に愛された方が幸せなんじゃないのか。
いつの間にか考えていることをそのまま口に出していたらしく、長谷部は俺を一瞥した後で背に手を回してきた。胸と背中が熱い。
「……」
「……ごめん」
謝るとぐりぐりと押し付けるようにして首を振ってくる。
「俺も怖いよ」
口にしてみると言葉は思いの外軽く、数珠繋ぎのようにするすると口から滑り出ていった。
「俺だって長谷部を置いていきたくないし、忘れられるのは怖いよ。ずっとずっと隣に居てほしいしもっと笑わせてやりたかったって思ってる」
言いながら遺言みたいだな、と思った。自分のその思い付きに自分で苦笑して、俺も長谷部の背中に腕を回した。
「俺、非道いことばかりしたからもっとああすれば良かったこうすれば良かったってことばかり考えてるんだよ。だから次の主に期待してるんだ」
胸元は熱く湿ってきていて、ああ長谷部はまた泣いてるんだなと分かった。俺の所為で、俺の前でだけ長谷部はよく泣いた。いつしか長谷部の泣き顔を見ても可愛いという感情よりも狼狽の方が勝るようになっていた。歳取ったからかなあ、と思った。
俺の周章狼狽を他所に長谷部は濡れた双眸で俺を見て、「忘れたくないです」と言った。全く同感だった。俺だって忘れられたくない。ずっと一緒に居たい。でも人間の命は抗う術なく有限で、それは叶わぬ願いだと分かっていた。
だから俺は努めて明るい、間延びした声で言った。
「長谷部はさあ」
「はい」
「一応神様だろ」
「はい」
「だから多分、頑張れば一つぐらいは奇跡を起こせるんじゃないか」
「……奇跡」
「本霊に戻っても主のことを覚えていられるとか、形はどうあれずっと傍に居られるとか、そういうの」
「……」
長谷部は俺の言葉にもう何も返さず、ただ目をぎゅっと瞑って口付けてきた。少し塩辛かった。今なら、あれだけ俺との子を欲しがった長谷部の気持ちも理解できるような気がしていた。しかしもう、何もかも遅すぎた。
愛してるとだけ言って、その夜俺はそのまま長谷部を抱いて寝た。