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鏡の向こう / 短篇集18

  • 執筆者の写真: Chisato Mitobe
    Chisato Mitobe
  • 2017年9月6日
  • 読了時間: 2分

例えば脳に関してこんな話があって、結論から言うと「脳は実際に見ているものと頭の中で想像したものとを区別できない」という話なんだけど、まず視覚情報の処理というのは大雑把に言うと、

 光刺激 → 網膜 → 脳の視覚野 → 脳の連合野   (1)

という感じになっている。連合野へ到達して初めて意識に上ってくる……と理解しているけどまあ間違ってはいないと思う。

ところがこの逆のルート、

 連合野 → 視覚野 → 網膜   (2)

というものが存在するという。

恐ろしいのはここからで、(1)と(2)による視覚刺激を脳は区別できないらしい。(2)の連合野に端を発する刺激というのは要するに空想や妄想の類であるから、脳は今見ているものが現実に存在しているのかそれとも妄想なのか、見ただけでは区別できないのだ。

この話は大学で脳科学の講義を取っていた時に聞いたもので、もう数年前のことなので今は否定されているのかもしれないけれど、それでも当時の私にはとても衝撃的だった。

それは元々同じようなことを考えていたからで、今自分が見えているものが現実なのか妄想なのか、誰にも分からないんじゃないか? と悩んでいたことがあったのだ。

まあ多くの人はいちいちそんなことで悩んだりしないんだろうけど、私にとってはかなり深刻な問題で、幻覚というのは非常に面倒くさくて精神をすり減らされるものなのだと散々に思い知らされている。

幻視でも幻聴でもそうなんだけど、自分では真偽が判らないということが本当にストレスで、決して楽しいものではない。(幻味に関しては口の中に食べ物が入っていないから幻覚だと分かる。まあ気持ちが悪いのには変わりないけど)

見ているものが本当に存在しているのかなんて、多分誰にも本当のところが分かりはしないのだと思う。

短篇集18に入っている3篇はどれも違った表情を見せる長谷部の話で、しかし私は誰を見て誰を書いているんだろう、と思うことが偶にある。

忘れたくないと我を張る長谷部も、食べ物が美味しいと頬を綻ばす長谷部も、苦々しい表情で顔を背ける長谷部も、どれが本当の長谷部か何て誰にも分からないのだろう、本人にさえも。

書けば書くほど追い詰められていくような、そんな精神状態で文章を書いている。

 
 
 

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