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短篇集​2

 本丸に着任した初日、審神者は幾度かの鍛刀を行い、十数口分の男士が顕現することとなった。

 最後に顕現した長谷部を近侍に命じた後、手探りのまま部隊を編成し政府からの命に従って最初の戦場へと送り出した審神者は、そのまま休む間もなく万屋を訪ね、両手いっぱいの食料を入れた袋を提げて帰ってきた。

 この本丸には畑として使用できる土地も用意されていたが、勿論着任したばかりの今は苗すら一本も植わっていない。ひとまずは外で購入した食材を調理するしか手はなかった。

(皆に畑仕事を教えるところからだが……)

 審神者自身も畑仕事の経験がある訳ではなかったので、政府が用意していたマニュアルを読みながら必死で頭に叩き込む。

 要点を書き写しながらマニュアルを読み進めていると遠くから第一部隊の皆の声が聞こえてきて、直に開かれたままの障子戸に長谷部の影が映った。

「主、今お時間よろしいですか」

「ああ、おかえり」

「失礼します」

 すっと部屋へ入ってきた長谷部は、先の出陣について報告を行った。傷を負ったものはおりません、短刀・打刀共に疲労も見られません、敵の大将首を討ち取りました……。

 返り血だろうか、燻んだ染みの付いたカソックの紫を眺めながら、皆が怪我を負うことなく無事に帰ってきたことに安堵して、審神者は

「初めての出陣お疲れ様」

 と部隊長であった長谷部を労った。

「結果を出すのは当然です」

 と長谷部は答え、

「次は何をしましょうか」

 と続けた。

「ううん、次か……。鍛刀はひとまず置いといて、刀装を作ったり出陣して資材を集めてきたりもお願いしたいんだけど……」

 唸りながら、審神者はふと手元のマニュアルを見て思い出す。

「そうだ、料理、料理をしないと」

「料理、……ですか」

「うん、皆慣れない身体で出陣して疲れてるだろうし、食事を作らないと」

 食事、と虚を突かれた表情のまま長谷部は呟く。

 彼等は長く人間と共に過ごした存在であるのでヒトの生活や習慣についての知識はある筈なのだが、それを肉体を得た自分達も実際に行うのだという事実はなかなか認識しがたいようであった。

「そう、君達も人間と同じような身体を手に入れた以上はきちんと食べて休まないといけないから」

「……はい」

「取り敢えずさっき食材は買ってきたから、誰か他に料理できそうな……歌仙さんとか、加州君とかも呼んで作りたいんだけど、手伝ってくれるか」

「主命とあらば」

 審神者は立ち上がり、長谷部と共に他の打刀を呼びに行った。

 審神者がそれぞれの調理手順について説明しながら四人で作った夕食は、白米に豆腐と若芽の味噌汁、それに焼いた鮭とほうれん草のおひたしという極々簡単なものではあったが、色も形もばらばらな皿に盛り付けられたそれらを皆美味しそうに平らげた。

 これぐらいは一人でもできるから休んでいてくれと言う審神者を押し切って、長谷部は隣に並んで綺麗に洗われた食器を拭いていた。

「後で政府に追加分の食器を申請しないとね」

「はい、手伝います」

「ありがとう、でももう休んでいいんだよ」

 まだいけます、と眉をきっと吊って答える近侍に苦笑いして、審神者は

「じゃあそれだけ手伝ったら、今日はもう休むこと」

 とだけ言った。

「はい」

 長谷部は答え、拭き終わった皿を棚に戻していく。

「明日は山姥切君と平野君と一緒に朝食を作って、その後第一部隊の皆には出陣してもらって、此処に残るメンバーで畑仕事をして……ああ、忙しいな……」

 まだ分厚いマニュアルの半分も読み込んでいないし、待ち構えている歴史修正主義者達との戦いに備えてやることは山積みだ。慣れない場所で一人、性格も才能もばらばらな男士達を纏め上げ、無事任務を果たしていくことができるのだろうか……。

 審神者の不安を知ってか知らずか、長谷部は審神者を真っ直ぐに見て言った。

「主、俺にできることであれば何でもお申し付けください」

 ……この近侍と二人でなら、やっていけるような気がする。

「……ありがとう」

 今はそう答えるだけで精一杯だった。


 

  ***


 

 雪山で真っ白な雪に埋もれていると、眠るように気を失ってそのまま目を覚ますこともなく、春になると雪解けと共に綺麗な姿のままで発見される――そんな話を読んだのは何処でだっただろうか、長谷部は次第に暗くなる意識の中でぼんやりと考えた。

 揺られているような錯覚を起こしながら意識が落ちていく心地良さに身を委ねていると、瞬間焼け付く痛みが脳裏に白く閃いて一気に現実へと引き戻される。

 へし切を手にした審神者が、長谷部の右腕をずたずたに切り裂いたままその刀身を首筋に添え、

「おはよう、長谷部君」

 と微笑んでいた。優しい目と口調で

「まだ気絶するには早いよ」

 と言う審神者の赤い舌が霞む。首元の刃の冷たさに、雪に埋もれたらこんな感じなのだろうか、と考えたそのとき、

「え、長谷部君、どうしたの」

 突然慌てだした審神者に一体何事かと問うと、服の袖で目尻を拭われる。

「ごめん、長谷部君、ごめんね」

 先程までの態度は全く影を潜め、顔を歪めて謝り続ける審神者に、自分が泣いていたのだと気付かされる。

「主、申し訳ありません」

 力なくへし切を取り落とし、膝を抱えて座り込んだ審神者に必死に声をかけると、審神者はぽつりと

「君を殺せば楽になるかな」

 とだけ零した。

 そのまま俯いて言葉を発することのない審神者に、長谷部はもう何も言えず、ただへし切に触れてはその冷たさに思いを馳せていた。


 

  ***


 

 万屋への買い物の帰り道、審神者は毎回長谷部を菓子屋へ連れて行き、どれでも好きなものを一つ選ぶよう言った。

 嘗て自分ではなく審神者の好きなものを選ぼうとして失敗を犯したことのある長谷部は、今では自分が欲しいと思うものを素直に選ぶようになっていた。

 審神者の後に続いて店内へ足を踏み入れた長谷部は、壁に「金平糖入荷しました」と書いた貼り紙があるのを見て首を傾げた。

(……何と読むのだろうか)

 糖とあるからには甘いのだろう、あれは砂糖の糖だ。しかしその前の金平とは何だろうか? 金とは黄金に輝く金属のことだ、平はぺったりと平らなことを言うのだろうか。となれば金色で平たく、甘いものなのかもしれない。そういう飴を見たことがあるが、もしかしてあれのことなのだろうか……。

 そこまで考えたところで、審神者がにこにこと自分の顔を見ているのに気付き、

「主、あれはどういった食べ物なのですか」

 と尋ねると、

「ああ、あれか? あれはこんぺいとうと読み、小さくてとげとげとした甘い菓子のことを言う」

 との答えが返ってきた。

「色は金なのですか?」

「いや、白とか赤とか緑とか青とか色々あるけど……どれも淡い色で綺麗だよ」

 とげとげしている、それは実際驚きであった。そして色も金だけではなくとりどり揃えられているという……。長谷部はいつか審神者と共に見た金木犀の花を思い出していた。小さく可憐な花で、山吹色に色付いていて、甘い匂いを辺りに漂わせていた。

(この花が好きなんだ、と主は仰った)

 きっと金平糖とやらも、あの花のように緩くカーブを描く小さな突起を持っていて、舌の上で甘い香りを咲かせては融けていくのだろう。

「主」

「うん?」

「あの金平糖が欲しいです」

「うん、いいぞ」

 審神者は店主に入荷した金平糖を全種類見せるよう言い、長谷部にどれがいいかを尋ねた。予想したよりも小さく控えめな突起を持つそれは、しかし長谷部の目にはとても魅力的な花に映った。

 審神者の言った通り赤や黄から青、緑、紫まで様々な色が用意されていることに驚いたが、橙と少しの黄が混ざった一袋を手に取った。

「それが気に入った?」

「はい」

「よし、じゃあこれを」

 店主に代金を支払い、紙袋に入れられた金平糖をそっと胸に抱えた長谷部と共に店を出る。

「金平糖、気に入ってくれると嬉しいが」

 そう言った審神者に、長谷部は不器用に笑って

「きっと気に入ります」

 と答えた。


 

  ***


 

「最近胸が痛むんだが」

 用がなければ滅多に他の男士に話しかけることのない長谷部がそう零した相手は燭台切であった。

 折しも畑当番の真っ最中であり、シャベルを持った手を止め、燭台切は長谷部の顔をじっと見る。

「手入れしても直らない。俺は何処かおかしいのだろうか」

「それ、主には」

「言っていない。こんなことで主の御手を煩わせる訳にはいかない」

 顔を顰めて何か心当たりはないかと問う長谷部は珍しく憔悴した様子を見せていて、燭台切は

「僕が力になれることがあれば何でもするよ」

 と微笑んでみせる。

「……助かる、他に話せそうな奴も思い当たらなくてな」

「気にしないで。それで、その原因だけど何か自分で思い当たるところはない?」

「……そうだな」

 青い空を仰いで眩しさに目を細め、長谷部はこのところの日々について思い巡らせる。

「……出陣は前と変わらない、主は俺をずっと部隊長に任命してくださっているが、毎度最良の結果を主にお届けできている筈だ」

「うん、僕も同じ部隊にいるから君の活躍はよく知っているし、調子が悪いようには見えない」

「鍛刀も、刀装作成も、内番も、以前と変わりなくこなしている筈だ」

「うん」

「お前達が作る食事もきちんと摂っているし、夜は主が休めと仰るので仕事は我慢して休んでいる」

「それは良いことだね」

「お前が口喧しく言うから休めと言われてしまったんだ。俺は夜休まずとも主のためにもっと働けるというのに」

「今は人の身体なんだから、主の言う通りちゃんと休まないと駄目だよ」

 短刀達に言い聞かせるように諭す燭台切をきっと睨み、長谷部は思い返すことを続ける。

「……怪我を負ってもその度に手入れしていただき、完全に直っているんだ。何故胸の痛みだけが消えないのか分からない」

「あれ、長谷部君戦闘で怪我したことあったっけ? 最近は敵の攻撃を受けても刀装だけで抑えられていると思ったけど」

「……お前の記憶違いだろう。情けないが俺だって不覚を取ることはある」

「そうかい? でも、今聞いた限りでは特に原因は思い当たらないよね……。痛む時間とか場所は決まってる?」

「そうだな……」

 萎れてしまった褐色の苗を引き抜きながら、長谷部は昨日のことを思い出す。

「夕刻、が多いか……。その時間だと俺は自室か主のお部屋にいる」

「長谷部君さ」

 弾んだ声に長谷部が顔を上げると、燭台切が金の眼を輝かせてにこにこしている。

「それって主に恋してるんじゃないの?」

「何を言い出すかと思えば、そんなことか」

 呆れたように返す長谷部に、燭台切は尚も続ける。

「長谷部君、出陣とか内番のとき以外はいつも主と一緒じゃない。初めは忠誠心だけだったのかもしれないけど、それが恋愛感情になったっておかしくないだろう?」

「馬鹿なことを」

 自説を展開する燭台切を一蹴し、長谷部は畑の手入れを終えて立ち上がる。

「特に原因も思い当たらなかったことだし、そのうち直るだろう。手間を取らせた」

 そう言い残すとさっさと道具を戻しに行った長谷部の後ろ姿に、燭台切は

「間違ってないと思うんだけどな」

 と呟き、ぐっと伸びをした。

「主、失礼いたします」

 畑仕事を終え、土埃を湯で流し終えいつものカソック姿に着替えた長谷部は近侍の執務を行うべく審神者の部屋を訪れていた。

「ああ、長谷部君。内番お疲れ様」

 審神者は用意してあったグラスに麦茶を注ぐと長谷部に手渡す。

「あ、主……すみません」

「ありがとうって言ってくれた方が嬉しいがなあ」

「ありがとう、ございます」

 真面目だなあと笑う審神者に何となく気恥ずかしくなり、グラスの琥珀色を一気に呷る。

「畑はどうだった」

「はい、先日植えた苗のうち、枯れたものや小さいままのものを間引きして雑草も抜きました」

「うん、ありがとう。おいしく育つといいな」

「はい」

 机に置かれた盆の隅にグラスをそっと置き、長谷部は仕事に取り掛かる。

 審神者と共に男士達の練度を確認しながら第二部隊の編成を考えていたとき、空になったグラスに分散された陽光がきらきらと踊っているのを見て長谷部はふと思い出した。

 ――「主に恋してるんじゃないの?」

 恋だなどと、馬鹿げている。燭台切がそんなことを言っていたと審神者に話そうとしたところで、その話をすれば自分の胸の痛みについても説明しなければいけなくなることに思い至った。

 余計なことを、と再び顔を顰めている長谷部に気が付き、審神者は

「そんな顔してどうした?」

 と声をかける。

「あ、いえ……何でもありません」

「そんな顔して何でもないってことないだろうに。何か悩み事があるなら相談しなさいって」

「悩み事というか……」

 逡巡する長谷部に、審神者はそれ以上何も言わずに微笑んだままだ。こうなった以上隠し事をするのも、と長谷部は腹を括り打ち明ける。

「先程の畑当番の際、燭台切がくだらないことを言っていたので」

「ほう」

「……俺が、主に恋慕の情を抱いていると」

 麦茶のグラス片手に長谷部の話を聞いていた審神者は思わず噴き出して、危うく着物を汚しそうになる。

「え、なに、何だって? 恋? そうなの?」

「……燭台切の早合点です、申し訳ありません」

「いや、謝らないでいいけど……光忠君も面白いことを言うね」

「くだらない戯言です」

「まあまあ、そも何でそんな話になったの」

「っ、主に隠し立てしていた訳ではないのですが」

 と、長谷部は苦い顔をして前置きをする。

「実は最近胸の痛むことがあって、手入れをしても直らないので奴に相談したのですが」

「! それは大丈夫なのか?」

 心配そうに身を乗り出す審神者を見て、やはり言うべきではなかったと後悔の念が押し寄せる。

「すみません、出陣や執務には影響ないので黙っていました。支障はありません」

「そうは言っても……」

「主にご心配をおかけするつもりはなかったんです、すみません」

 顔色を青くしてひたすら謝り続ける長谷部を宥め、審神者はグラスに麦茶を注ぐ。

「長谷部君、私は君が正直に何でも話してくれた方が嬉しい。不調があるからといって、それを隠されたままでは余計に心配になることもある」

「……はい、申し訳ありませんでした」

「謝らないでいいから、次からはすぐに言ってくれ。な?」

「はい」

 落ち着きを取り戻したところで長谷部から詳細を聞き、審神者は言う。

「身体に問題がないなら、心の問題かもしれないな」

「心の……ですか」

「うん、人間ってのは厄介で、悩み事を抱えていたり感情を大きく揺さぶられたりすると身体にも影響が出てしまうんだ」

「身体にも……」

「うん」

 審神者は腕を組み、

「何か原因があるんだろうけど、すぐに分かるものでもないし、ゆっくり治していけばいいから」

 と優しく言い聞かせる。

「……はい」

「もしかしたら疲れが溜まってたかな、今日の仕事はこのぐらいにして少し休もうか」

「ですが」

「大丈夫だよ、最近一生懸命働いたから少しぐらい休んでも問題ない。ちょっと散歩でも行こう」

「はい、すみません……」

「長谷部君、嬉しくなかった?」

 困ったように笑って言う審神者を見て長谷部は先程のやりとりを思い出し、

「お気遣いありがとうございます」

 と俯いて言った。

 長谷部を一旦自室に戻して一人で外出の準備をしながら、審神者は溜息を吐く。

(……恋慕の情だったら良かったが)

 おそらく長谷部の抱える痛みはストレスからくる神経痛で、その原因が他ならない自分であることは明確だった。

(幸せにしてやりたかったなあ)

 せめてこれからの僅かな時間だけでも全てを忘れて笑っていてくれたら、ほとんど祈るようにそう考える審神者の脳裏に浮かぶのは、蒼と赤で彩られた弱々しい笑顔だった。

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