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爛れた椅子

 あるときは四肢を切断され、またあるときは喉を焼かれ、或いは臓腑と血を啜られる、そんな毎晩のように行われるその行為を長谷部が何故断らないのか、審神者にもその理由は良く分かっていなかった。

 ただ審神者に請われるまま夜が来ると執務室の奥の部屋へと赴き、反射的な悲鳴や呻き声を上げる以外はじっと押し黙ったままで凄絶な加虐を耐えていた。

「君が嫌なら無理にはしないから、きちんと言うんだよ」と度々言われても、長谷部は判で押したように「いえ、俺は平気ですから主のご随意に」と答えるのみであった。

 審神者は自室で一人頬杖を突き、ふむと唸った。

「長谷部君」

 ある午前中、象牙色の陽光で満たされた室内で執務の手を休め、審神者は長谷部に呼び掛けた。

「はい」

 長谷部も同様に端末を操作していた手を止め、背筋を伸ばして真横を向くと審神者に正対した。何か御用でしょうか、と透き通って凍った藤色の瞳が問うていた。

「一つ、頼みがあるんだが」

「はい、何でもお申し付けください」

「うん」

 予想通りの言葉に予想通りの答えを返す近侍に、審神者はにっこりと微笑んで言った。

「午後にね、私はいつものように君を誘うから」

「……はい」

 特に普段と変わりないのに態々何を、とでも言いたげな長谷部の目を見ながら、審神者は口の端を持ち上げて尚も続けた。

「君はそれを断ってくれないか」

「……え?」

 整った顔を幾分間の抜けた形にぽかんと固まらせている長谷部に審神者は苦笑し、やれやれと言った様子で繰り返した。

「だからね、私は今日の午後、君へ夜部屋に来るよう誘うから、君はそれを断る。頼んだよ」

「お、お待ちください、何故ですか」

「何故? 君が断らないからだよ」

「いえ、ですが、俺は主にこの身をどう扱われようとも構わないと……」

「うん、だからだよ」

 焦った様子で言い募る長谷部とは対照的に、よいしょ、と胡座にかいた脚を組み直し、落ち着き払って審神者は言った。

「私は繰り返して君の意思を第一に尊重すると言ったが、君は一度だって私の誘いに首を横に振らなかった。だから、偶には嫌だと言ってほしくなったんだ」

「ですが……それでは主が……」

「なあ」

 すっと細められた審神者の瞳は黒曜石のようになった。光を全て飲み込んで、その切っ先で長谷部を切り裂く瞳だった。

「私は断れ、と言ったんだがな。これは主命だ」

 この審神者が滅多に遣わない主命という言葉を使ったことに、長谷部は背を粟立たせた。たとえ審神者の望みといえ、どうあってもこの後に提示される誘いを断らなければ再び望みを聞くことすら永久に叶わなくなるのだ、と長谷部は冷や汗をかきながら悟った。

「……承知いたしました。主の、思うままに」

 頭を垂れて震える声で応じた長谷部に、審神者は元通りの表面だけは温かい笑みを返し、

「頼んだよ」

 とだけ言った。

 午後、陽光は蒲公英のような濃い色をして室内に降り注ぎ、誘うような匂いを辺り一面に満たしていた。出陣も内番もない粟田口の短刀達が外で遊んでいるらしい声が微かに響いてきたが、審神者の望み通りそれは執務やその他の行為を妨げない程度の距離と音量とを保っていた。

 今後の鍛刀の為に依頼札や木炭、砥石などの資源の管理を確認していた審神者は徐に長谷部の方を向き、短く呼び掛けた。

「長谷部君」

「はい」

 長谷部は僅かに身を硬直させてそれに答えた。普段と変わりない澄ました顔で文机に向かって審神者を手伝っていても、午前のやりとりは片時も長谷部の頭を離れていなかった。

「今夜も部屋に来てくれるかな」

 あくまで優しく、長谷部に主導権を残したままの色で審神者はそう言ったが、その実この部屋の空気も長谷部の一挙一動も笑みを絶やさない審神者の掌握下にあることを長谷部は痛い程に感じ取っていた。

「……あの、主」

「うん?」

「その……」

 審神者はいつものように「君が嫌なら」とは付け加えなかった。その言葉を口にすれば、長谷部はただ首肯するだけで主命を果たすことが出来た筈であった。審神者はどうしても長谷部が自分の意思で、自分の口から審神者の頼みを断ったという場面を作り出したいようであり、そのため助け舟を出すつもりは全くないようであった。

 そんな内心とは裏腹にただ長谷部の言葉が鈍いことに首を傾げる様子だけを見せ、審神者は尋ねた。

「長谷部君?」

「……主、俺は、俺には……」

「おや、どうしたんだい」

「……」

 しらを切る審神者に長谷部は胃が捩じ切れる思いだった。いくら午前中の審神者に賜った主命とは言え目の前の審神者の願いを断ることは長谷部にとって非常に困難なことで、叶えられる願いをむざむざ捨て去ってしまうその言葉は、長谷部には口にできないものであるらしかった。

「……お許しください、主。いくら主命とは言え、俺は主のご所望をお断りすることは……」

「……ふうん」

 審神者は長谷部の言葉に不興な顔をするとすっと立ち上がり、困惑したまま審神者の動きを視線で追う長谷部には一瞥もくれずに障子戸まで歩いて行くとさっと戸を開いた。

「下がってくれ」

「あ、主……」

「まだ何か用かな」

「俺の身体はお好きに使ってくださって構いませんから、どうか……」

「しつこいね、君も」

 困ったように眉を下げる審神者は、しかし全く笑っておらず、唇だけを奇妙に歪めて長谷部に言った。長谷部はその表情にぞっとした。

「君は私のくだらない望みと主命とどっちが大切なんだ? 物分りが悪いのは好かないよ、私は」

「俺は……いえ、申し訳ありませんでした、主。……少し時間を、くださいませんか」

「ああ、君が望むならずっと考えていてくれたって構わないよ」

「いえ、あの、すぐに……」

「ああ、分かったよ、存分に考えて来なさい」

 審神者はさっと手を振ると長谷部に背を向けた。黒々と引かれた線をそれ以上越えることは長谷部にはできなかった。それをすれば、二度と近侍に就くことすら叶わないことは容易に想像がついた。

 失礼しました、と頭を下げ、長谷部は審神者の部屋を出た。長谷部の顔からは色が失われており、唇は何事かを発そうとするように戦慄いていた。

 数十分後、長谷部は近侍である自分までもを拒絶するように固く閉ざされた障子戸の前に立っていた。真っ白な障子紙が長谷部の目と胸を刺し、長谷部は頭がくらくらするのを感じた。

「主、長谷部です」

 ともすれば震えそうになる声を強いて抑えて長谷部が声を掛けると、向こう側から朗らかな声で「どうぞ」と返って来た。かたかたと音をさせながら戸を滑らせると、審神者が長谷部の方を向いてにっこりと笑っており、

「それで?」

 と言った。長谷部は身を裂くように痛み続ける胃を押さえ、途切れ途切れに答えた。

「あの……先程は、申し訳ありませんでした……」

「うん、謝罪はもう良いよ」

 これ以上くだらないやりとりを続けるつもりならまた下がらせるよ、と無言で語る審神者の目に長谷部は慄いた。審神者は回りくどい麗句や長ったらしい前置きを嫌っており、単刀直入に要点だけを話すよう普段からどの男士達にも徹底させていたのを長谷部は思い出した。

「すみません、あ、いえ、今申し上げますから」

「うん、まず座ろうか」

 審神者は冷たい笑顔を向けたまま長谷部の文机の前を指し、長谷部はぎこちなく身体を動かすと自分の座布団に腰を下ろして正座した。手を突いて頭を下げるべきか迷ったが、それをした瞬間審神者は再度線を引くだろうと思い直して姿勢を正すに止めた。

「それで?」

 審神者は頬杖を突いて身体を斜めに支え、もう一度長谷部に尋ねた。部屋の空気は重々しく降りかかって、長谷部の喉を濡羽色に充たしては息を詰まらせた。

「……先程、主は、俺を普段のように、誘われました」

「うん、私は君のことをとても愛しているからね」

 審神者は何でもないことのようにさらりと返した。愛とはこのような重さと色を持つものだっただろうか、と長谷部は考えた。彼にとって審神者の愛というのはもっと身体を貫き留めるように鋭く重いもので、その上脳裏を灼き尽くす程に生々しく緋いものであったように思われた。

「俺は……俺は、やはり主命と言えど主のご所望をお断りすることはできません」

「理由を訊こうか?」

「は……理由、ですか」

 思いも寄らなかった審神者の答えに長谷部は戸惑った。てっきり酷く無関心な顔をして目の前から失せるよう告げられるだろうと思っていたため、長谷部は不意の問いに対する答えを求めて必死で己の胸の内を探った。浮かび上がったのはいつかの審神者の少しぼやけた笑顔と、長谷部の柔らかい煤色の髪を掬いながら告げられた言葉だった。

「……主は、主のお誘いを断るよう俺に命じられました。勿論それに従うのが、主命を果たすために近侍として仕えさせていただいている俺の役目ではあります。ですが、俺は、俺が主命通り断ったときよりも、俺を、その、使われているときの方が主は喜ばれるだろうと考えて、そうしようと決めて……」

 長谷部は何を言うべきか自分でも整理が付いていないようで、口にすると同時に伝えるに不足ない言葉を探してしどろもどろになりながらも胸の内を審神者に告げた。

「つまり君は自分の頭でどちらの選択が私にとって最善なのかを考えたと」

 審神者が長谷部の言葉を端的に纏め、長谷部はそれに飛び付いて首を振った。

「その通りです、主命に背くことにはなりましたが、……俺はその方が、と……」

「ふうん」

 審神者は短く唸り、長谷部は俯いた。勝手なことを考えて主命に背き、益々不興を買っただろうか、と長谷部の胸にじっとり濡れた後悔がじわじわと滲み広がった。しかしその染みが喉元まで浸してしまう前に審神者は唐突に声を上げて笑い、頬杖を突いていない方の手で目元を覆ってくつくつと笑い続けた。

「君が、ねえ」

「……」

「くく、いや悪かった、君を遠ざけるつもりなど微塵もないよ」

「……主?」

「長谷部君、私はね、君が自分の意見をちゃんと持っているのか疑問だったんだよ。君はいつだって私の誘いを断るどころか一つ覚えにはい、はいと返事して閨では押し黙っているだろう」

「……はい」

「私はいつか君に言ったね、きちんと自分というものを、自分の意思を持ちなさいと……。だのに君は私が望むからとただ盲目的に従っているんじゃないかと思ってね。でも安心したよ、君は君なりに考えて動いていたという訳だ」

「……恐れ入ります」

「但し」

 悪い予感を孕む弾んだ審神者の声に、長谷部は上げかけた顔をぴたと止めた。嬉々とした調子のまま、審神者の口から悪夢のような宣告が紡ぎ出された。

「君自身が何を望んでいるかはやはり分からないままだ、私には。まさか君は好き好んで私に嬲られている訳でもあるまい、であれば君は本当は穏やかな夜を過ごしたいと思っているんじゃないのか。私はそれを知りたいんだけどね」

「……俺、は、手入れをすれば治りますから……」

「そういうことを言っているんじゃないんだけどね。分からないなら、分からせてあげるしかないんだろうか」

 審神者は嬉しそうにそう言うと、ちらりと時計に目を遣った。

「まだ間に合うか、私達の今日の夕食は無しにしてもらおう。私の部屋で吐き戻されても困るからね」

 そう言って審神者が長谷部の表情を伺い見ると、午後の甘やかな空気と対照的なまでに色を失っており、

「今此処でも吐かないで欲しいんだけどね」

 と笑って言うと長谷部はただ黙ってこくこくと首を振った。

 深い藍色をした夜の帳が下り、審神者は長谷部と共に寝室に籠っていた。身を硬くした長谷部はへし切を審神者に渡した後敷き布団の上に姿勢正しく座っており、審神者は手渡されたへし切を持ったまま部屋の中をうろうろと歩き回っていた。

 本丸の何もかもが息絶えてしまったかのようにしんとして、長谷部はその静寂が凝り固まって喉を詰まらせているように錯覚した。

 時計の針が嫌々といった様子で動いて小さくかちりと鳴った時、審神者は漸く足を止めて長谷部をうっそりと見遣り、言った。

「腹は苦しくないかい」

「はい」

 長谷部の返答を聞き審神者は無言で微笑んだ。長谷部は何をされているのかも分からないまま、審神者個人用の浴室で肛門から何やら冷たく透明な液を中へ注ぎ込まれては排泄し、中身が出なくなるまでそれを繰り返された。審神者の前で、という羞恥に長谷部の顔は火照ったが、その熱も冷え切った部屋の空気にすぐさま拡散していった。

 審神者は屈み込むと長谷部を仰向けに寝かせてスラックスを下着ごと下ろしてしまい、露わになった長谷部の会陰を一つ一つ確かめるように視線のみでなぞっていった。陰茎、陰嚢、その下に少し離れて肛門。全ての位置を確かめ終えた後で審神者はへし切を鞘から抜き、切っ先を会陰にぴたりと当てた。

「君の本心を聞けることを期待しているよ」

 それだけ言うと、審神者はそのままへし切で長谷部を貫いた。厚みのある刀身はほとんど抵抗を受けることなく白い肌に沈んで行き、一拍遅れて長谷部は目の前に光と熱が弾け飛ぶのを感じた。

「――っ?!」

 言葉にならない悲鳴が喉を劈いて、長谷部は口から真っ赤な血が溢れ出しているのではないかと思った。貫かれた場所が焼けるように熱く、自分の体内から煮え滾る熱湯が流れ出しているように感じられた。

 審神者が手を捻ってへし切で中を蹂躙すると、冴えた斬れ味の刃でずたずたに引き裂かれた桃色の筋肉の間から薄黄色と緋色の混ざり合った液体が漏れ出し、皆焼刃を伝ってはぽたぽたと滴った。

「膀胱に達したようだね、長谷部君」

 審神者は上機嫌で長谷部に声を掛けたが、長谷部はただ目を見開いて身体を痙攣させるばかりであった。滑らかな稜線を描く喉が限界まで反らされ、声にならない声がひくひくと蠢いた。審神者が手を動かす度に気分の悪くなるような濁った水音が響き、時折引き千切れた肉の破片が音もなくシーツへ落ちた。

「君の中身で私の布団はぐちゃぐちゃだ」

 零された言葉に長谷部は必死で目線を遣って謝罪に代えようとしたが、その時へし切の切っ先が直腸を撫でたのでそれは叶わなかった。

「あぁああぁああああ!」

 抉じ開けられた腔は膀胱だけでなく直腸まで拡張されようとしていたが、このために直腸は予め綺麗に洗浄されていたので周りを中身で汚すことなく空間だけが広がっていった。両手で髪を掻き乱して叫ぶ長谷部へ審神者は満足そうに笑いかけ、昂奮のままにその手の抽挿を速めながら言った。

「これでも平気かい、長谷部君」

「やっ、ごめ、ごめんなさい、ぁ、っい、ゆるして、やだ」

「はは」

 審神者は乾いた唇を舐めるとこの上ない喜色を顔に浮かべた。長谷部が発した言葉を脳内で何度もなぞりながら、審神者は長谷部に問いかけた。

「痛いかい、長谷部君、痛いだろうなあ。今日はもう止めようか」

「あっ、や、だめです、いや」

「ああ、嫌なんだろう? ほら」

 へし切を握った手をぴたりと止め、審神者は品定めするような笑みを浮かべて長谷部に言った。長谷部は痛みに脂汗を流して喘いでいたが、火照っていた身体が審神者の言葉にさっと温度を失うのを感じながら慌てて言った。

「う……も、申し訳、っぐ……ありません、ある、じ……ど、どう、か、続けて……」

「君もつくづく強情だね」

 審神者は面白くなさそうに言い放ったが、すぐに笑みを取り戻し、肉と血がその境界を失って原型を留めていない長谷部の会陰からへし切を抜くと無理矢理に開けられた穴を眺めた。

「これ以上は他の臓腑まで傷付けてしまうからね。……君の此処がどうなっているか教えてあげようか、長谷部君」

「はっ、あ……はい……」

「柔らかい肉が其処彼処から垂れ下がって、それに君の甘い血と脂肪とも絡まり合っている。摩擦なんて全くない、荒々しい陵辱の後もないただ温かな肉壷のように思えるよ。包まったら実に気持ちが良さそうだね」

 聞きなれない単語にも長谷部は反応できず、ただ乾ききった息を吐いては必死に吸っていた。双眸は涙に濡れていたが、まだ審神者の理性を灼くその輝きを失ってはいなかった。

「ねえ、この中に入ることができたらさぞ気持ちが良いだろうな」

「……ご随意、に、……あるじ」

「言われずとも。君が止めろと言うまではね」

 審神者は長谷部の肉片と体液に塗れた刀身を丁寧に拭い、脇に置いてあったへし切の鞘を拾い上げて其処へ収めた。

「いつ見ても素晴らしい拵だ」

「……有難き、あぁっ……!」

 幸せ、と続けようとした長谷部の言葉は無力な叫び声に変わり、審神者は無邪気に声を上げて益々笑った。切り裂かれ抉られた会陰にへし切の鞘が深々と突き刺され、抽挿を真似て動かされるたびに痙攣する長谷部の身体から散った血の飛沫が拵の金色を濡らした。

 長谷部は痛みを逃そうとするかのように必死で叫び続け、両手は胸の辺りで踠くように彷徨って虚しく空を切った。審神者はぼろぼろと零される涙を指先で掬い、それを赤い舌を見せつけるようにして舐めながら長谷部の言葉に耳を傾けた。意味を成さない呻き声のようなそれを、初めこそ傷だらけの前立腺などを鞘の先で引っ掛けながら愉快そうに聞いていたが、長谷部の言わんとするところが判り始めると同時に審神者の顔から表情が消えていった。

「長谷部君?」

 抜き取られたへし切はやはり緋色に染まっており、しかし審神者はその色が手に付くことは厭わず鞘を掴んで立ち上がった。

「ぁ、ぐ……あ」

「君は私が君と交わりたがっていると思っていたのか」

「……っは、……」

「愉快な空想じゃないか、長谷部君。良いかい、其処で確と聞いているんだ……。私はね、君がそういうことを口にする、いやそもそも知っているというのは好かないんだよ」

「…………」

「君が何処でそんな売女めいた言葉を覚えてきたのか知らないがね、許容できないんだよ、私は」

 言うが早いか審神者は長谷部に掠れた声で弁明させる隙も与えず、抜刀して長谷部の陰茎を切り落としてしまった。萎えたままだった真新しい陰茎は力なくシーツへ落ちて丸まったようになり、赤銅色に染まり始めていた布団の上に真新しい赤黒の血がぼたぼたと零れては塗り潰した。絹を裂くような長谷部の絶叫を審神者はうっとりと聞いていた。

「ぃあ、やっ、やだ、やだやだ、ごめ、なさい、ゆる、ゆるして、ごめんなさい」

「止めてほしいかい、長谷部君。まだ此方が残っているよ」

 そう言って審神者が鞘で長谷部の左の陰嚢をぐいと持ち上げると、長谷部は恐怖に引き攣れた表情で矢継ぎ早に言葉を発した。「嫌だ」と「ごめんなさい」と「許してください」の奔流に審神者の瞳孔は開き、最早笑顔とは呼べないような歪みきった顔で性急に言った。

「そうか、止めてほしいか、君はそれを望むのか。はは、ははは!」

 そのまま一頻り笑い続けた後、審神者はへし切に付いた血を拭って鞘に収め、長谷部の身体を支えて立ち上がらせた。

「長谷部君、手入れ部屋へ行くよ。良いものを見せてもらった。君は私の言ったことが、少しは理解できていたら良いんだけどね」

 長谷部はほとんど意識が遠のいたまま審神者に身体を凭せ掛け、引き摺られるようにして床に血の痕を残しながら手入れ部屋へと連れて行かれた。

 目が覚めると白藍の光が障子紙を透かして射し込んでおり、今夜も綺麗な月が昇っているのだな、と長谷部はぼんやり考えた。身体はいつものようにすっかり治されていて、見るも無残な程にずたずただった下腹部や切り落とされた陰茎もすっかり元の通りになっていることが触れずとも感じられた。

 普段は長谷部が横たえられている布団の横に座って意識が戻るのを待っている審神者が、この日は手入れ部屋の中をうろうろと歩き回っていた。長谷部が目を覚まして身を起こしたことに気付くと足を止め、しかし近付くことはしないままで「おはよう」とだけ言い、長谷部の口から発せられそうになった言葉の気配を敏感に察知してひらりと手を振った。何も言うな、という拒絶に近い寛容だった。

 半身を起こしたままで何故最後まで耐え抜けなかったのかと長谷部が自身を責めまた後悔していると、

「なあ、一つ話をしようか」

 と壁に凭れ掛かっていた審神者が言い、長谷部の答えを待たずに話し始めた。

「審神者なんてものを長いことやっているとね、他所の本丸のことも稀に耳にする機会があるんだよ。君も演練なんかのときに聞く機会はあるだろうがね……。世の中色んな連中が居るからね、中には審神者とその近侍が情交したなんて話もあった」

 腑に落ちない表情をしている長谷部を横目で見て、審神者は話を続けた。

「非常に不愉快な話だが、嫌でも耳に入って来るものは仕方がない。その近侍というのがね、へし切長谷部だなんてことも度々あった。他所では審神者と長谷部とが情を交わし合っているのさ、そしてそれが紛れもない愛なんだと信じきっている……。なあ、傑作だと思わないかい、長谷部君」

 長谷部はすっかり冷めて言葉をたっぷり含んだ喉をぎこちなく動かし、小さい声で呟いた。

「愛、ですか」

「うん」

「……俺は、交合というのは、その……挿入を伴う、子を成す為の行為であるとしか」

「ああ、それは全く正しい認識だ」

「愛故の交合というのも、あるのですか」

「情交と言うぐらいだから、そう考えている人間は少なくないんだろう」

「……主は、そうではないと」

「君のことは勿論愛しているがね」

 身を壁に預けたまま、長谷部と目線の高さを合わせることもなく審神者は言った。与えられる言葉を一つも聞き漏らすまいと、そして其処から滲み出し蠢く毒に飲み込まれまいと長谷部は布団を固く握り締めて目を伏せた。

「あんなものは、表面だけの愛しか持たない連中が縁とするために縋る行為だよ。愛だ何だと言い訳を並べて、結局は悦楽に浸ることでそれを忘れ、或いは勘違いしたいのさ。尤も、君もそうしたかったようだが」

 申し訳ありませんでした、と長谷部の唇が小さく震えたのを審神者はちらと見て目を細め、また淡々と続けた。

「別に腹を立ててはいないよ。ただ君は知らなかっただけだろう、情交の意味も、私と君との関係も。長谷部君、君は今夜漸く嫌だと口にしたけれど、それで君への愛が何か変わる訳でもないと分かるかい」

「……はい」

「私の君に対する愛が確固たるもので、君の些細な言動の一つや二つで変性することはない以上、君は自分の感じたままを表してくれて構わないと私は君に理解してほしいんだけどね。いくら手入れすれば治るからといって、君だって会陰に穴を増やされて膀胱と直腸を繋げられたり性器を切り落とされたりした後の安らかとは言えない眠りを求めてはいないだろう?」

「はい、……すみませんでした、主」

「謝ることじゃないと言うのに」

「……はい」

「まあ良い、君も追い追い理解できるだろうからね。……ところで、長谷部君」

 審神者が一旦話を切ったので、長谷部は顔を上げて審神者の眼を見た。手入れを終えた後だというのに其処は爛々と燃えており、ああまだ終わっていないのだ、と長谷部は思った。

「肉が裂けて襞を成し血が滴っていた君の中は予想以上に柔らかく温かで、さぞ気持ちの良いものだと思うのだけどね。明日も、今夜のように君を抉って其処へ入っても構わないだろうか」

 長谷部はあの激痛と、何もかもを飲み込む紫黒の絶望を思い出し真っ青になった。それでも主が所望するのであれば、と返しそうになったが、これは試されているのだ、と思い至った。自らの手の内を明かし、一点の曇りもなく長谷部を愛していると言った審神者のことを長谷部が心から信じ裏切らないかどうか、審神者は鋭い冷笑を浮かべながらじっと見ているのだ。

 縺れる舌を懸命に動かして、長谷部は我ながら情けなくなるような声を絞り出した。

「……主のご期待に添えず申し訳ありませんが、それだけは、どうかご容赦ください」

「そうか、残念だが仕方ないな」

 審神者は微笑んでそう返すと長谷部の傍へ寄り、腰を下ろして長谷部の顔を覗き込んだ。

「それなら、今夜はお茶とお菓子を用意して待っているよ」

 嘘偽りのない表情でそう告げられ長谷部は困惑したが、理解したかいと言いたげな審神者の眼に気圧され、

「はい」

 と言葉が勝手に口をついて出ていた。審神者は一つ息を吐くと長谷部から目を逸らし、月光に格子の影を落とす障子戸を見遣って言った。

「私も知りたかったことを一つ、知ることができた。信じてもらうというのは難しいね、長谷部君」

「……? あの、主?」

「愛しているよ。何があろうとも、この先ずっと」

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