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 十三号病棟

 

 

 

 

 

 窓の外には桜の花びらがはらはらと散っているのが見えた。ああ、もうすぐ春か、と審神者は呟いた。遠い外を羨望する視線は鉄の棒に遮られる。

 無言で視線を戻し、ベッドサイドのテーブルに手を伸ばした。何度も繰り返してきた動作だからか、目当てのものはすぐに取り出すことができた。

 真っ白な封筒から折り畳まれた紙片を取り出し、ゆっくりと開く。掌で丁寧に丁寧に皺を伸ばし、審神者は一行目から読み始めた。

 

   *

 

 主へ

 

 今日、これが最後になるからと全てを明かされました。ですが俺には理解できません。もう面会も叶わないのだと聞きました。

 俺の所為だから、なのですか。二  お会いできないのは、その罰なのですか。

   いです、主。

 

 申し訳ありません、書くべきはこんなことではありませんでした。

 こうして文字にして残しておけば、主が後から読まれて、理解される時があるかもしれないとあの医者が言うのです。

 主が理解されないなど、とんだ侮辱だと腹が立ちました。そんな筈がありません。

 また脱線してしまいました。

   ですね、俺は。

 

   *

 

 審神者は手紙から目を上げ、ぼんやりと壁を眺めた。――白いな、とだけ思う。

 長谷部が書いている理解がどうのこうのと言うのは、おそらく自分の症状や病因のことなのだろうとは見当が付いた。そして医者は正しかった。

 説明は何度か聞いたが、全く理解できなかった。かろうじて原子や分子、アミノ酸などの単語には聞き覚えがあったものの、後はさっぱりだった。

 視線はまた、手紙の上をうろうろと彷徨い始めた。

 

   *

 

 聞いたことを、俺なりの説明になってしまいますが、此処に書いておきます。

 主の御身体はもう、本来の人間の身体とはすっかり変わってしまっているのだそうです。

  が 正確なことはまだ研究中だと言いますが、電子などのスピンが本来と異なる向きを取るようになっていることや、アミノ酸がD体ばかりになっていることが病因の一つだそうです。

 主なら 念の為に全て書いておけと言われたのを思い出しました。

 スピンが狂うと原子や分子が異常な挙動を示すようになると、またアミノ酸が本来のL体ではなくD体ばかりになると種々の酵素が正常に働けなくなるのだと説明されました。

 どちらも、生物が身体を、細胞を、タンパク質を作り、維持することを致命的に阻害すると。そうですよね。正しいアミノ酸やタンパク質を、勿論それ以外の物質も作れなければ、人間は生きていけませんから。

 それで、主の、心臓や、肺や、消化器や、脳すらも、もう正常には機能しないと。

 主、ごめんなさい、全て俺    んです。原因も主なら既にお分かりかと思います。俺が悪いと、分かっていらっしゃいますよね。

 ご  な い。

 

   *

 

 首を捻り、同じ箇所を行ったり来たりして、審神者はそれでも理解できなかった。スピン(とは何だったろう)がおかしいと酵素(?)が働かなくなって、それで……?

 手紙はまだ続いていた。

 

   *

 

 原因を書かずに終わるのは、忠義に反すると思っています。でも、そうできたらどんなに楽か。 俺は、近  格ですね。

 原因は、刀剣男士にあるというのが、今最も有力な仮説なのだと言っていました。

 俺達はこの世界の物質を利用して顕現しますが、元々はエネルギーに似た、もっと高次の存在だと言います。審神者である主が俺達の次元を落とし、或いは〝楔を打つ〟ことで、形を得て固定されると。

 其処に綻びがあったと、今更聞かされて俺は腸が煮え繰り返るようでした。ですがそのシステムがなければ、 とは、

 話が逸れました。短く纏めます。

 俺達が構成される際、物質は同じものを使っていても、規則は全く異なるのだそうです。原子や分子が従うべきルール、糖やアミノ酸や脂肪酸が従うべきルール、数え切れないほどの法則が。

 それが、主の御身体の構成物質にまで影響して、適用されて、それで、もう  なくても良いですか、 。

 俺は 間ですらなく、付喪神などであったが為に、此方へ連れて来てくださった主を、俺が、

 

 ごめんなさい、主

      いです、

 

 

   *

 

 最後の辺りは紙がよれ、字も震えていた。

 文面を指でなぞり、審神者は何度も何度も彼の名を呼んだ。

 

 医師や研究者は言った。

「夏は迎えられないだろうな」

 聴力は既に失われていた審神者の前で。

 

 長谷部からの手紙も、何度読んだか分からない。何度撫でたか分からない。

 とうに擦り切れていたそれだけが、最終病棟での唯一の所持品だった。

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